「祖父」

みなさんお元気ですか。私は元気にやっていますよ! ミラノは少し春らしさが増してきました。

日本から離れたミラノで、ときどき今はなき祖父のことを考えています。

九十を超えて長生きをした祖父は、孫の私のことをかわいがってくれました。私がそんな祖父のことを思うのは優しさを懐かしむのではなく、祖父のようなワイルドな生き方を自分もしているかということを自省するためなのです。

祖父は野球が大変に上手で、現代であればプロ野球選手になれる程でした。「サンフランシスコ・ジャイアンツと試合をしてなー、体格から何から勝てるわけがないがん(鳥取弁)、ボコボコに負けたわ」というのが自慢話でした。

戦争の時に国鉄の蒸気機関車の運転手をしており、そのために戦争に駆り出されることがありませんでした。終戦後、妻(つまり私の祖母)と4人の子供がいたにもかかわらず、システム上大学出の若造があっという間に自分よりも高い立場についてしまうことが許せず、「こんな仕事をやっていてもうだつが上がらん」といって辞めてしまいました。

周囲は当然、何を馬鹿な、家族のために続けろと言ったそうなのですが耳をかさずに自分で商売を始めた、がうまくいかず極貧の生活を何年もした後、ある時に思いついたことが商売につながり、経済的な成功を収めたという豪快な人です。私の母を含めた家族は当時は大変な思いをしたのでしょうが、祖母はいつも笑っていました。

「チャンスはそこらへんを横切っているもんだ、問題はそれを掴むかどうかなのだ」という名言?を残した祖父。

受け継いだ祖父の血。常識に縛られず新たなことにチャレンジしていきます!

(山根 力)